「書かなければ」の強迫観念 その1

中学に入ったころから時折、心の中で思ったことや感じたことなどを、はっきりと言葉にして心の中で”つぶやいている”自分に気づくようになった。
ドラマや映画のモノローグみたいに、誰かに言うように、心の中で「語り」をする。

最初は、なんか”浸ってるなー”くらいに思ってた。
中学に入り、私は友達と一緒に、学校での出来事や身の回りで起こったことなどを、自分を主人公にした小説風に仕立ててノートに書き、それを見せ合いっこするという遊びをしていた。
私はそれにすごくハマってしまい、友達との間ではブームが去っても、家で一人こっそりノートを続けていた。
女子中学生にありがちな、自分を美化し、妄想も織り交ぜ、出来事を実際より大げさに書いたりというものだったけど、自分の平凡でつまらない日常がドラマチックによみがえる、さらにそれを見て感傷に浸るというのに、なんとも言えない快感を覚えた。

だからこれもその延長線上なのかな、変な癖でもついてしまったのかなくらいに思っていた。

ただそれ以前からも、物心ついた頃、ごく幼い頃から、どうでもいいことを「書いておきたくなる」衝動がたまにあった。

例えば今度の誕生日プレゼントで買って欲しいものとか、子供じみた荒唐無稽な願望とか・・・(例えば将来何でも治せるお医者さんになりたいと思ったら、書いておかないといられないとか)。
そんなことを、むしょうに書いておきたくなるのだ。とにかく、いつの間にか忘れてしまってうやむやになるのが嫌だった。

でも書こうとすると自分の願望をそんな風に文字化することに恥ずかしくなり、またそんなことを書くという行為がひどく滑稽に思えて、なかなか踏み切れなかったりもした。
そして書いてしまえばあとはもう、内容の実現も、書いた紙の存在も、どーでもよくなっていた。

これが「病的」になったのは、高校に入学してからだった。

思ったこと…頭の中にわいてくるものすべて、言語化して紙に書き記さないと気が済まなくなっていた。

頭の中を去来する様々な感情が、モヤモヤと形にならないまま通り過ぎる感じがとにかく嫌だった。
思考や感情なんて流れるスピードも早いし、次から次へとわいては消えわいては消えするから、言葉にするのが追っつかない。
そもそも頭をかすめる思考や感情を一つもらさず全部言葉にするなんて今だって無理だし、あの頃はもっと無理だった。頭の中は常にてんやわんや状態。

書いて書いて書きまくって、それでも考えや気持ちなんて絶え間なく頭をかけめぐるものだから、終われない。。紙とペンから離れられない(今はそれがPCのテキストエディタに変わっている)。

日々生活してたら、モヤモヤすることとか、言葉にならない思いとか色々あるけど、そういうの徹底的に余すところなく言葉にしないと気が済まないという感じで、疲れる。。

あと何でも言葉にしないと物事を考えられなくなってしまった(思考スピードが落ちてしまう)。

登下校の電車の中、駅のホームで電車を待っている間、道を歩いている時、学校の礼拝の時間(キリスト教系の学校だった)、授業中、夜布団に入ってから…など、ついボーッと考え事をしてしまう時間が要注意だった。

モヤモヤした感情が矢継ぎ早に通りすぎる。
思うように自分の感情に当てはまる言葉が思いつかない。
待ったなしに流れる思いをキャッチしきれなくて、どんどん取りこぼしていくような感覚・・・。

「さっき思ったことはなんだっけ」「◯◯だった」「それは(言葉にするの)時間かかりそうだからとりあえず覚えておいて」「まず先にこっちの感情を言葉に…」って、頭の中で格闘する。
すぐに言葉にならない分はとりあえず「こういう感情」というのを頭にとどめておいて後で言葉にする、としていた。「保留中」の気持ちや感情をどんどん溜め込んだ。

取りこぼすったって、大した思考じゃない。忘れたら、消えたら、どうだって言うの?というものばかり。それは分かっていても、頭に浮かんだものを言葉にしない→消えてなくなる、2度と同じ思いはわいてこないかもしれない、それが不安というか、取り返しのつかないことのように思えた。

自分は今こう思った、こう考えた、というのを常に把握し続けていたいというのはあった。
自分の「思ったこと」に強く念を押して言語化して頭に押し込める、そうすると何かがちゃんと「埋まる」感じがした。
それをしないと、いてもたってもいられないような、何とも言えないような気持ちの悪さがあった。