埃が怖いと言いながら埃まみれの中で生活する毎日…。
そんなに埃が怖いなら掃除すればいいじゃんって話なのだが、それがなかなかできなかった。
これが私のいけないところだが、何でも「やるなら完璧に」「完璧でなければ意味がない」と思ってしまうのだ。
この部屋を「完璧に」掃除するなんて、考えただけで挫折してしまう。
掃除と言ってもできるのは、ただ拭くこと、掃除機がけくらい。
棚に3日で溜まったホコリ、1年かけて積もったホコリ、どちらもせいぜい、ひと拭きか、何往復かの違いくらい。
1年かけて溜まったホコリだから、1年分の力?を込めた拭き方でないととか(なんじゃそら…)、そんなのはない。
…でも、1年という歳月掃除していないことを思うと、拭いても、掃除機がけしても、いくらやっても物足りないというか、掃除した気がしなかった。
一番ネックだったのは、部屋にある大量の本やカセットテープ(予備校の講義を録音したもの)。
本を完璧に掃除したいけど、本の掃除ってどうやればいいのか分からない。そこでいつも止まってしまった。
できれば本の1ページ1ページ、全部拭き掃除したかった。でもそんなのさすがに無理。。本は予備校のテキストや冊子類も含めて100冊以上はあった。それを1ページ1ページ全部拭いていくなんて…考えただけで気が遠くなった。
ちなみに私は「水で洗い流す」ということに関しては全然信用できて、手洗いの時間などは人より長い方だと思うけど、少なくともいくら洗っても洗った気がしないとか、何度も洗い直してしまうとか、そういうのはない。
石けんで泡々にして、水で洗い流せれば、十分満足できる。
だから水で洗えるものは何でも石鹸で泡々にして洗っていた。
問題は、水洗いできないもの。。本も水洗いできない。
埃は床にだけに落ちるわけじゃない。閉じた本のページの厚みの部分にだって埃は積もっている。でも本を掃除するとか、本の掃除の仕方なんて、聞いたことがなかった。
水気を含ませ固く絞った雑巾で拭いてみても、取れた気がしなかった。逆に埃を本に押し込んでしまった気がした。
埃の除去で一番手っ取り早いのは掃除機だと思うけど、私は家の掃除機が汚いと思えて触れない(部屋に持ち込みたくない)、というのがあった。床だけは仕方なく掃除機を使ったけど…。
掃除機にブラシノズルを付けて棚や小物も掃除できればよかったけど、ブラシノズルもすごく汚くて、「キレイにしたいもの」にブラシを近づけることなど考えられなかった。当時は自分専用の掃除機を買う財力もなかったしね…。
吹けば飛ぶ埃だけど、意外と頑固というか、完全に取りきるというのが難しい(静電気が…)。
取ったつもりが全然取れてない!とか、間違ったやり方をすると余計に汚れを広げてしまっただけになる。
今はネットのおかげで「これを使うと良い!」など裏技的な知識や情報が豊富に手に入り、つくづく良い時代になったなと思う(笑)。例えば埃がかなりある状態でいきなり掃除機がけはNGとか(掃除機の排気でホコリが舞い上がるため、先に拭き掃除してからの方が良い)、マイクロファイバーの雑巾が埃にいいとか。
当時私は、1年手付かずのフローリングに、いきなり掃除機をガーッとかけたりした。
当時の家の掃除機はちょっと特殊なもので、排気が出ない仕組みのものだったのだけど(でも恐ろしくパワーの弱い掃除機だった!)、もはや掃除機ヘッドを床にあてた衝撃だけで埃が舞い上がるレベルだった。
クイックルのシートとか、拭き掃除の方が舞い上げることなくきれいに埃が取れると思うけど、あの時は、床掃除=掃除機がけ以外、考えつく余地がなかった。
掃除をしてもしても、「した気」が得られずもどかしい、埃は目に見えにくいからどれくらい取れたのか、完全に取り切れたのか分からず、それどころか、下手に掃除をしたことで、余計に汚してしまった、汚染が広がった、汚れが奥に入り込んで取れなくなってしまった気がする、そういうのがもっともダメージが激しいことだった。それならまだ手を付けないほうがマシだったのだ。
だがその後結局、見るに見かねた母親に部屋に入られて掃除されてしまったのだ(私の外出中)。
私にとって「ヘタに手を加える(掃除する)=余計に汚れを拡散させる」で、パニックになった。もうコントロール不能なほど汚れが拡散した気がした。
でも、泣いてもわめいても自分で掃除をし直すしかこの気持ちが納まることはない。
私は腹をくくって部屋の掃除を始めた。2週間位かけた。本は1冊1冊、窓の外から手で埃を払った。
「完璧」とは思えないまでも、一応なりとも掃除を終えたあとは「きれいになった」と思えた。
一世一代の?大掃除をして、しばらくは「きれいな空間」を満喫したが、3日もすれば、ピアノやテーブルの上などうっすら埃が目立つようになってきた。