“聖域”はその時々で移り変わった。
最初に作った聖域は、埃溜めの部屋の中の机の一部。浪人中はずっとそこだったかな。
パソコンを手に入れてからは、居間のパソコンの一角になった。
化粧品を買うようになって、化粧品と化粧品を置く場所も。
自室全体が聖域の今は、一度部屋から出ると、もうなかなか入れない(笑)。部屋に入るには、風呂に入って全身を洗わなければ入れないから。その前に部屋に隣接する廊下と洗面所の掃除もしなければならない(風呂から上がった後に歩く場所)。
いずれにしても常にどこかには聖域を作っている。
聖域以外は、ほんっとうに汚いのだ。いや…汚いと感じるだけなのか、本当に汚いのか、分からないけど…。
ちょっと掃除しないだけで、ものすごく汚れた感じがして気持ち悪い。
例えば毎日使うパソコン(パソコンは居間にある)。1日掃除しないだけで結構埃はかかるし、マウスも指紋や手の脂などでベタベタ、ザラザラしてくる。1日1回、使う前に拭き掃除をしたい。めんどくさくてそのまま使ってしまうと、自分も埃にまみれたような感覚になる。
そうなると「自分も汚い」になり、他の、自分がきれいとする場所…例えば台所や冷蔵庫に近づくには、手と腕を洗い、なるべく体を離して物を取ったりしなければならなくなる。
1日過ごしたパソコンは、人の動きや近くでのあれこれ(着替え、寝具の上げ下ろしなど)で、相応の埃はかかっている。手の脂だって結構すごい。「気のせい」ではなく、実際に汚い。埃や指紋の汚れが目立つ。
かと言って、使う前に毎日”拭く”というのも、「普通ではない」気がする。
家でも、あるいは会社などで、皆いちいち使う前に拭いている図というのは想像しずらい。
何より自分が疲れる。パソコンの掃除だけなら、今ならかなりレベルを下げて10分程度。だけど、「使いたい」と思ってすぐ使えない、一事が万事、拭かなきゃ使えない、洗わなきゃ使えない、着替えなきゃ行けない、そういうことが多すぎて結構なストレスになる。
でもやっぱ埃すごい。拭かなきゃ気持ち悪い。このまま使うのは、「気にしすぎ」でも何でもなく気持ち悪い。でも拭くのも面倒くさい。
分かんなくなるのだ。
「汚い」「気持ち悪い」「拭きたい」と、もう一方の「気にしすぎ」という感覚。
「気にしすぎ」と思うのは、冷静な判断がわくというより、そうやって自分を説得して、掃除という強迫行為をやめたい。もんのすごくめんどくさいから。
パソコンの掃除程度なら楽だけど、今現在、部屋全部が聖域になっている。
強迫行為は熱があっても槍が降っても骨折してても「それだけは」とやろうとしてしまう。
体調悪い時、なんだか分からないけどやる気が出ない時、真冬、冷たい空気が突き刺すような時、嫌になって仕方がない。
腰が上がるまでがしんどい。一旦やり始めたら、そこからは猛然とやってしまうのだけど…。
私はすぐ「みんなも(この汚れなら)拭いてるんじゃない?」って思うけど、冷静に考えて、世間一般のみーんなが、これくらいの汚れでこんなに掃除してたら、生活のほとんどが掃除に取られているはずだよね?だからあり得ないはずだと思える。
だけどすごく不安。
いやでもこれは…ものすごく汚い状態かもよ?って。みんな(世間一般)もこれなら掃除するかもよ?って。
どのくらいの汚れなら掃除するべきか、しなくてもいいのか、その問いに絶対的な正解を欲しがった。
自分の判断に自信がない。
「拭かない」と決めても、自分の判断が正しいのか分からなくて不安になる。
不安の根源には、完璧を求める気持ち、自分の判断に自信がない、自分を信用していない、というのがあると思う。
埃、汚れを「かんぺきに」排除したい。
拭かなくていいかな、このくらいなら洗わなくていいんじゃ?と思っても、その判断って本当に正しい?みんな(世間一般)は洗うかもしれないよ?もしかして不潔かもしれないよ?私は人よりうっかりしていて、不器用で、すぐ汚す。ちょっと気を抜くとすぐズボラでだらしなくて不潔になる。だから人一倍神経を使わなきゃすぐ汚してしまう…!と。
今思えば、衛生観念がアンバランスな環境で育ったなとは思う。
「普通」「適度」の感覚が身につかなかった。
どのくらいやるのが普通なのかの、「普通」の感覚が分からない。
母親は自称「きれい好き」で、私もそういうイメージしかなかった。
手洗いはとても丁寧で、ことあるごとに洗っていて、特に食べこぼし飲みこぼしにもんのすごくうるさく、幼い私はこぼした倒した汚したで毎日毎日怒られていた。
とても几帳面で、家の中には私が決して触れてはならない”開かずの扉”がいっぱいあって(戸棚、タンス、引き出し、部屋丸ごと…)、そこから母親自身が何か物を取っても、その”物を取ったことで生じたわずかな乱れ”を整えることに、とても長い時間をかけていた。今思えばあれらは全部、整理整頓強迫なのだけど…。
その一方で、家の掃除(掃除機がけ)は2週間に1回くらいしかしないし、棚やテレビ台など家具の上を拭いたりはしないから、いつも埃で真っ白になっていた。洗濯もあまりしない。風呂上がりのバスタオルなんかも父親は2週間位洗濯していないのを使い続けていた。本人が着る服も、2週間位同じものを着続ける。
どうも”2週間”という言葉が続くけど(笑)、母親は風呂も2週間に1度の人なのだ。
2週間、半月というのが、母親にとって「そろそろ…」という区切りなんだろうか。
私もそうだけど、母親も、一旦掃除しだしたら、完璧に、全部やらなくちゃ気がすまないから掃除が大変になって、やらなくなる…というタイプ。
私自身、母親のそういうのを「不潔」と感じたことがなかった。
母親=きれい好きというイメージがあまりに強かったというか、母親のやることなら大丈夫、不潔であるわけがないと思い込んでいた。
それがだんだんと、今まで気にならなかったことが、急に気になるようになってしまったというか…。
「すごく汚い」ことに、ある時気づいてしまった。
そうなるともう、どんどん汚く感じていく。
今まで気にならなかった「そんなこと気にしてたら生活していけないよ!」って汚れにまでこれもあれもと気づくようになり、どんどんエスカレートしていった。
気づけば、家の中のほとんどが手のつけようがないほど「汚い場所」となり、近寄れない、触れられない場所となっていた。