強迫性障害の説明でよく目にするものに「いくら強迫観念や強迫行動が強くても、本人がそれを苦痛と感じていなければ病気ではない」というのがあるけど、これに当てはめると、うちの母親は「病気ではない」ということになる。
母親は、私から見れば明らかに強迫性障害だけど、本人に病識はまったくない(私の不潔恐怖は異常呼ばわりするけど)。
いつも、自分の清潔基準は正しい、「親として注意している」と称して、家族を巻き込んでいた。
そもそも強迫性障害の辛さとは、「強迫行為を自由にできない」ことから始まるように思う。たとえば手を洗いたくても洗う時間が思うように取れない、外だと人が見ているから洗いにくい(OCDの当事者は、強迫行為に恥や罪悪感の意識が強いことが多い)、日常生活に支障が出るという危機感など。そういう状況が続き、苦痛になって、何とかしなければ、となる。
これが、強迫行為を気兼ねなく好きなだけできる、なんら支障はない環境であれば、苦痛を苦痛とも感じなくなるかもしれない。
母親という存在、特に専業主婦だと、家の中を取り仕切って好きなだけ強迫行為ができる。
家族に家中のものをいじらせないのも、風呂は1週間に1度で普通だという非常識を常識だと言いはるのも、事あるごとに家族に手洗いを命じるのも、誰もそれをおかしいと指摘したり笑ったりうるさく言う人はいない。
一日中気の済むまで掃除や整理整頓ができ、子供なんて「しつけ」と称して言いなりにできるし、うしろめたさを感じることなく家族に制限を課せる。
父親は公務員だったけど仕事仕事の人で私が子供の頃はほとんど家にいなかったし、家のこと、自分のことも全部奥さんまかせの人だったので、自分の着るものの在り処が分からなくても何の問題もなかったようだ。
私が母親の聖域である家のどこかの引き出しから勝手に物を取り出そうとすると、母親の不潔恐怖、整理整頓強迫の発作が起こる。
発作を起こすと、さも、いじった私が悪いかのように怒鳴りつける。自分の精神の問題だとは決して思っていない。包丁で指に切り傷作って絆創膏を探そうとして引き出しをそーっと開けたら、半狂乱で怒鳴られる(全然大げさじゃなく本当に半狂乱だよ)。
そういう私も、インターネットがなければ病識を持つことができなかったと思う。
20歳過ぎまで自分のこのしんどさを「病気」だなんて思ったことはなかった。
ただの神経質な性格だと考えていた。
母親のように好きなだけ強迫行為をできる環境にでもいれば別かもしれないけど、そうじゃなく苦しんでいたら、「これは病気だ」という意識にたどり着けなければ、この病気は地獄だと思う。