強迫性障害とは

強迫性障害(きょうはくせいしょうがい)

字面だけ見るとなんだか仰々しいけど、「潔癖症」という言葉は誰もが目にしたことがあると思う。それも正確にはこの病気の一種らしい。
英語名”Obsessive Compulsive Disorder”の3つの頭文字を取り、OCDという表記もよく見る。
人口の1~2%が発症するという発表がある。私は最初「先進国特有の病」というイメージを持っていたけど、人種国籍地域問わず一定数患者は存在するらしい。

何度も「汚れたかも…」と感じては手洗い、1回の手洗いにものすごく時間がかかる、ガスの元栓をちゃんと閉めたか、家の鍵をちゃんと掛けたか何度も戻って確認する、「汚い・不潔」と思える場所に近づけず、外のトイレに入れないなど、日常生活に制限や不自由が増えていく。

症状がエスカレートすると、掃除したいのに、掃除道具が「汚い」と思えて触れない→掃除ができなくなる→さらに不潔に…という悪循環を起こすなど、一見すると矛盾する行動を取ったりもする。潔癖という割に、お風呂に入らない、部屋を何年も掃除しないなど。
すべてを自分の望むレベルの清潔さで保つことは到底無理なので、一部だけ聖域を作り(自分の部屋、あるいは部屋のとある一角、ベッドの上だけなど)、ひどくなるとそこから出られなくなったりもする。

自分では「バカらしい…」と思いつつ、うんざりしつつも、気になってやらずにはいられない、正常な思考回路なら何ともなく「もう大丈夫・OK」「十分やれた」と思えることでも「いや、まだやれていないかも知れない…」「まだ不十分じゃないか?」と、やってもやっても「もういいだろう」という安心感が得られない、「十分やれた」という手ごたえが感じられなくて、それがものすごくもどかしい、不安で気になってしょうがない、「どのくらいやるのが普通」の「普通」の基準が分からず不安になり、その結果、やり過ぎたり、やらなすぎたりする、そして多くの場合それが、「何で、たかが”こんなこと”で、こんなに?」というもので、強い不安感や恐怖感を伴った気がかり事となる…そんな症状。(あくまで自分の心情をつづったものであり、一般的な強迫性障害の説明になっているかは分からない…)

代表的な症状としては、上に挙げたような過度な手洗いやガスの元栓確認などが有名だが、強迫性障害の”こだわり”の対象は千差万別で、それこそ思考や行動のありとあらゆる部分にそれは生まれる。
ある人は、店で買ったものひとつひとつに買った日の日付を書いておかなきゃ気がすまない強迫だったり、またある人は、音楽を聴くと耳に入ってくる言葉(歌詞)の意味をその都度解釈せずにはいられない強迫など。
強迫患者の数だけ強迫観念の種類はあると言っても過言ではない。
ちなみに私の強迫観念には、不潔恐怖の他に、頭の中に浮かぶ自分の思考や感情などをすべて言葉にして何かに書き残さないと気がすまないというものがある。

この病気は一見「単なる癖」「神経質」との区別がつきにくく、そのため「性格の問題」だと思い込み、本人も周囲も「病気である」という視点にはなかなかたどり着けないというケースが多いのではないかと思う。それがより患者を苦しめる。

「性格の問題」というとどこか「自己責任」という感じで、努力や根性、意思の力で直せるもの→直らない人は努力が足りない、というふうに考えてしまいがちだ。
しんどい状態を無理やり我慢したり、「こんなことで苦しむ自分がおかしい」などと自分を責めたりしてしまう。
私は「心の病」という視点がなかったころ、いくらワケの分からない状況に振り回され、日常生活がままならなくなったところで、「自分が要領が悪く精神的に弱いだけでは?」「誰もがあることなんだろう」「そして人は皆それを乗り越えて、その上で何事もなかったように生活しているのだろう」と思っていた。今思うと、その時期(知識がまるでない時期)が一番八方塞がりで辛かった。
自分のこの状態にれっきとした「病名」があると知り、自分自身の性格や甘えの問題とは別のところに原因があることを知ったとき、心がスーッと楽になるのを感じた。自分の身に起こっていることのすべてに合点がいき、モヤモヤとしていた視界がスッキリしたような感覚になれた。

もちろんそれ(病気と分かったこと)だけで一気に改善するわけではないけど、その時から、自分の状態を冷静にとらえ、「治す」「何とかしよう」という前向きな覚悟を持てたと思う。