ずっと、自分で自分が分からない辛さがあった。
頭の中が常にモヤモヤしていた。
今ならそれを「強い抑圧」とか「それに対するもう一方の自分の強い反発」とか言えるけど、あの頃はそれを、ただモヤモヤとしたとても不快なものとしか感じられなかった。
モヤモヤの正体が何なのか分からない。気づけない。もっと奥に切り込みたかったけど、表面を覆っているものがあまりに分厚つくて、深い部分に到達できないような…。
いや切り込もうともしなかったかな。”心”なんて、もっとも大事にしないものだったし。
あの頃は「自分に向き合う」なんて発想が、そもそも無かった。いいからつべこべ言わずやれ!って感じで。今は受験勉強だけしていればいいんだから!それが絶対の幸せなんだから!って。「心」なんて機械同然のような扱いだった。
私は自分に勉強をさせたかった。
中学まで、私は勉強が大好きだった。勉強が楽しかった。性に合う、合わないというのがあるけど、「コツコツ勉強する」というのは間違いなく自分の性にあっていたと思う(あくまで”大学受験程度の勉強”の話だけど)。
勉強ができると、優越感が満たされた。
「私はエリート」という意識、名前を言うと(地方でそれを聞くと)誰もが「えっ!?すごいね」と驚くような大学を自分は目指している、そこに入れた将来を想像する…それが私の心のよりどころ、生きる支え、それがあるから生きていけるというものだった。
(たかがちょっと名のある大学を目指していたくらいでねぇ。。しかも私立文系だし…。書くのも恥ずかしいけど、当時思っていたことなのでそのまま書く)。
何の取り柄もないどころか、自分を社会で「使えない」人間だと感じる私にとってこんなチャンス、二度とないように思えたのだ。
でもそれ以上に、ここで「これ以上ないくらいやった」という経験を残したい、最高の結果を残したい、後悔したくない・・・そんな欲求ばっかりエスカレートしていった。
野心もある。意欲もある。なのになぜ?
突如とした勉強への激しい拒絶感。
勉強しようとすると、モヤモヤしてくる。
勉強しようとする自分に、強い抵抗感。それが何なのか分からなくて。
何でこんなに「モヤモヤ」なのか、正体の分からない激しい拒絶感なのか、分からなくて。
心の「表面」のものが、断片的に、言葉になる。答えを必死に探る思いで。。
焦り、もどかしさ、苛立ち、断片的に表面に上がってくる気持ちを言葉にせずにいられなく、言葉にすると、その瞬間だけ、いく分かすっきりするのだった。
言葉にして、「だから、まだ大丈夫」「まだ間に合う」という安心を得たかった。自分の心の声を大事に思って、それに耳を傾けたいのではなく、
何とかモヤモヤをおさえて、焦りをしずめて、ひとまずの安心とやる気を湧き起こさせたい、それだけだった。
私の中に「気づいて!!」という気持ちがあったけど、「勉強」の妨げになりそうだったので、向き合うのが怖くて、見て見ぬふりし続けた。