「書かなければ」の強迫観念 その3

初めのうちは、なんでこうなったのか、”心因的な理由”を必死に探ろうとした。
それが分かって、解決できれば、この症状もスカッと治まるのではないかと思ったのだ。
何かあると思ったし、考えれば「近い」ものはボロボロ出てくる。
以下それを列挙してみると…、

理由1
頭ではこうなるとかああなるとか、思うだけなら簡単なことが好き勝手わいてくるけど、現実は全然それに追いつかない。笑っちゃうほど理想とかけ離れていく。書いておかないと、いつの間にか忘れて消えてなくなっちゃう。

理由2
今まで”自分はどう思っているか”をあまりにないがしろにして生きてきた反動?からか、自分の気持ちを常に確認しておきたい気持ちが強い。自分の本心を常に把握していたい。

理由3
不快な感情…怒りや傷つき、ショックなどは、なぜカッとなったか、なぜ傷ついたか、どうしてそうしてしまったかなどを分析すると、気持ちが落ち着く。2と重なるけど、自分なりのその行動をしてしまった理由を見失いたくない。

理由4
物事が上手くいかないのはすべて「思考が足りなかった」せいであり、「考えること」ですべてが解決すると思っている。「考える」が自分にとって最強の武器だと思っている。「思考」を極めさえすれば、自分は何でもできると思っていた。

理由5
いつも”完璧”に自分を把握していたい。常に「分からない自分」というのがゼロの状態にしておきたい。

理由6
病的な「自分に貼りついていたい」心理。自分の内面から離れていたくない。引き離されると精神不安定になる。四六時中自分の内面と対話していたい。

…6が一番大きい。これがどんどん強くなった。

書く=自分の内面に貼り付いてる、で。
その時が一番落ち着く。引き剥がされる=恐怖、だった。
書くことから離れると、書けない時間が増えると、精神不安定でいてもたってもいられなくなった。
書いている時だけが息できる時間で、あとはひたすら書ける時間を待つだけの捨ての時間。

「私は今こう思った」「こう感じた」というのを絶えず頭で復唱して、言葉にしていないと、(それを止めると)たちまち意識が濁流に飲み込まれるような、ぐわんぐわんに振り回されてこっぱみじんになりそうな…そんな強い不快感があった。

あの頃の自分は、廃人、中毒という言葉がピッタリ。
1日中机に向かって、書きたい欲求の奴隷になる。
あともうちょっと、これ書いたら終わりにするから!って、書いても書いても終わりがこない…。

「書く」以外のことを、全然できる気がしなかった。
学校に行く、仕事する、どこかに所属する、やりたくないこともやる、自分以外の人のために何かをする、雑用、家事をする、遊ぶ、何かを楽しむ、熱中する…フツーの人の日常はそういうことで埋まっている。私にはそれが信じられないことのように思えた。ああそう言えば「生きる」ってそういうことだよね…って。
そういえば私、受験勉強に打ち込んで、大学に行って、東京に出たらあんなことしてこんなことしてって、夢や理想はいーっぱいあったはずなのに。今の自分は、そういうことからすごく遠いところにいる、気がつけば、「普通の生活」すら遠くにかすんで見える…。そう考えると心底恐怖だった。

にもかかわらず、この状態を、病気だとか異常だとか思ってみたことは一度もなかった(強迫性障害という言葉を知るまで)。
なんというか…「みんなもこうだ」と思っていたのだ。周りの人はみな、自分の頭に浮かぶものをその都度言葉にし、整理しきって、スッキリ晴れやかな状態で目の前の行動に邁進しているのだと。私はそれができないからこうなんだ、そういう考え方をしていた。