社会デビューといえる幼稚園から、すでにいじめられていた。
1人っ子ということで、早くから集団に溶けこませた方がいいだろうという両親の意向もあり、幼稚園は3年保育となり、4歳の誕生日がくる前から通っていた。
でも最初の1年はまだ「人間関係」と言えるようなのものはなく(人数も少なかった)、ただ各々好き勝手に動き、お弁当を食べて帰る、という毎日だったと思う。
2年目の「年中」の年から、いよいよ大量の同い年の子が入園してきた。
私達3年保育組は彼らの1年先輩として、少し早く教室に到着して、彼らを出迎えた。
自分と同じ背格好をした人間がドドっと押し寄せる光景には少し圧倒されたけど、すぐにこれから広がる世界にワクワクし、私は満面の笑みで彼らを迎え入れた。ほんの少し、先輩面、得意顔も混じっていたと思う。
私は「人見知り」というのがほとんどない子供だったと思う。
基本、誰にでも屈託なく近づいていった。
あの子と友達になりたいと思ったら、自分から積極的にヘラヘラしながら近づいていった。
そして大抵、あえなく振られた。
一言で言えば、周りの同年代の子に比べて精神的にすごく幼かった。
いかにも「いじめたくなるような子」ではあったと思う。
馴れ馴れしい、
かまって欲しくてズカズカと人の中に割り込む、
人の物を何でもすぐ「貸して」と言う、
人の気を引きたくて注目浴びたくて、突飛な行動に出る、
人にちょっかいを出す、
など。。
このくらいの年代の子というのは基本的に「お愛想」なんてないので、好き嫌い、特に拒否・拒絶の意思表示がはっきりしていた。
周りの子からは、簡単に人を寄せつけない、入り込ませない「バリア」のようなものを感じたりした。
自分にはそれがまずショックというか、驚きの体験だった(彼らは誰にでもバリアを張っていたわけではなく、私が特別嫌われていたからそう感じただけかもしれないけど…)。
私はというと…、
基本、来る者拒まず。
嫌いな人がいる、人を拒絶するという感覚がよく理解できなかったし、誰であれ構ってもらえれば単純に嬉しかった。
何でみんなあんなに「イヤ!」とか「ダメ!」とかキツいことを言うんだろうと思っていた。
仲間意識とか縄張り意識とか、そういうものがよく理解できなかった。
でもそれは私が人と感性が違うとか、人より心が広いとか優しいとかそういうことではなく、やっぱり、精神的に幼いとか、社会性の未発達?とか、そういうことだったと思う。
何となく、これは他の子なら嫌がるんだろうなと思うことでも、別にいいじゃんと思ってしまう。自分の持っているものを「貸して」と言われても嫌な気にならないし(…ちょうだいと言われても、あげちゃう…)、仲間に入れてと言われて断る理由も気持ちも見つからない。
なぜ「仲間はずれ」を作るのか、すぐに秘密を作りたがるのか、そういうことが理解できなかった。
ようするに、それが「どういうことか」をよく分かっていなかったのだと思う。例えば、「貸すことの何が嫌なの?」と思って、何でもホイホイ貸して、汚されたり、壊されたり、返してもらえないことを何度か経験して、ようやく「貸すのを嫌がる意味」を知ったり。
特定の友達同士で秘密を共有して楽しむというのも、ある程度、社会性、自我のようなものが発達しているから出てくるものだと思う。
私には、みんながしていることの意味が自分には分からない、気づくのが遅いとか、みんなしてるけど、自分にはそのことの楽しさ、必要性が分からない、人がなんでそういう時にそう思うのか分からないとか、そういうことが多かった。もっと大きくなってから・・・大人になってからも。
その時は意味が分からなくても、後から気づくことも多かった。
人はだいたいこういう時こう思うもの、
人はだいたいこういう時こうしたくなるもの、
そういう感覚を、人と共有できないと感じることが多かった。
また、人に対して優しい気持ちがあったかといえばそれも全然で、私はとてもわがままで自己中だった。
内心では自分が一番チヤホヤされていないと気がすまないところがあったし、たまに「自分より弱そう」と見た子には強い態度に出たりした。だから優しい子にもあまり好かれなかった。
遊びや運動、お絵かきや折り紙でも何でも周りの子に今一歩が届かない、並べない、劣っている感じがして、悔しかった。
今思い返すと、この頃はまだ遠慮や加減というものを知らない分、幼稚園時代のいじめはその後と比較しても結構キツいものが多かったように思う。態度がとにかく容赦ないというか、とことんやられることが多かった。
私は幼い頃から平均より背が高めで、特に小さい頃は年より何歳か上に見られることが多かった。
私をいじめてくる子は大抵私より身長が小さく、下から睨み上げられたり、命令されたりしていた。
心理的に、大きい自分が、自分より小さい子に睨みつけられ、やられっぱなしという図は情けないものがあった。