中学までは、「勉強ができる」というだけで、気分の良い毎日だったのだ。
ところが高校に入ると、そうはいかなくなった。
中学までは有名進学校の志望者で、勉強ができる優等生だったのが一転、高校受験の落伍者となり、世間から見れば偏差値の低い底辺高校に通う女子高生となった。
勉強で「優等生」になることもできず、それでもプライドは高いままだったが、プライド相応に扱われないどころか、ズタズタに傷つく日々だった。
学校のクラスというのは、その中で大体いくつかのグループが作られる。
大抵の場合グループ同士は対等な関係ではなく、そこには歴然とした階級が存在した。俗にいう、「スクールカースト」と呼ばれるものだ。
以下あくまで独断と偏見だけど、
カースト上位者は主に、
勉強は苦手、不真面目、明るく活発で社交的、見た目が派手、スポーツが得意、クラスのリーダー格、先生や学校の体制に反抗的。
下層組は、真面目、地味、ダサい、運動音痴、先生や学校に従順、遊ばない、暗い、大人しい、など。
そしてその間には中間層がいる。
この中間層は定義が難しいけど、
上と下のいいとこ取りというか、どちらか一方に偏らず、派手過ぎでもなく地味過ぎでもなく、何事もほどほどで上手く生きる、これが一番多くいる層だ。
精神的に人より幼く、人と上手に関係を築くことができず、勉強ばかりだった私は、中学時代、そのカーストの最下層にいた。
カースト下層組は目立つことをしてはいけない(目をつけられる)などいくつかの不文律はあったけど、それをわきまえていれば、他グループから特に何か言われたり攻撃されることはなかった。
もちろん傷ついたり嫌な思いをすることもいっぱいあったけど、私は勉強ができることで自尊心は十分保っていられたし、他のグループからどんな扱いを受けていようと、それは一時のことで、グループ内では楽しく過ごすことができていた。
だから、そういったクラス内での扱いで思い悩むことはあまりなかった。
それに、大人しい、地味、優等生というレッテルを貼られて生きる方が、性に合ってもいた。
それがどういうわけか、高校に入った私はカーストの中~上位層に入ろうと必死になっていた。
上で「思い悩むことはなかった」とは書いたけど、人からバカにされ軽んじられることに対して、まったく何とも思っていなかったというと嘘になる。ただそれに対しては「どうしようもないことだ」という諦めがあり、それを「私は勉強ができるんだから」ということでごまかしていた。
でも中学までは、それで何とかやってこられたのだ。
ところが受験に失敗し、誰も私を「頭がいい人」として見てくれなくなると、何か別の自尊心を保つものが必要になったのか。
むしろここでは、勉強ができる”だけ”なのはカッコ悪い、ダサいことのように思えた。
「勉強しかない自分」にカッコ悪さを感じるようになってきた。
勉強もやるけど、勉強ばかりじゃない自分になりたいと思うようになっていた。
自分と同じ地味で大人しそうな子達を、「私はこの人達とは違う」という目で見て素通りし、派手で活発そうなグループに取り入ろうとした。
自分が派手グループの仲間入りをすることなど、簡単なことだと思っていた。
でもそうじゃなかった。
その人達といても全然楽しくない、むしろ苦痛だった。
会話に入れず、ノリに合わせられず、何が面白くて笑っているのか分からず、会話を振られてもどう返せばいいか分からず固まってしまい、自分だけ浮いているのは痛いほど分かる。
無理にテンションを真似てみても明らかにスベってキモい態度になってしまい、その場の空気をぶち壊す。
そんな自分にショックを受けた。
私は付き合う友達、属するグループも、自分の価値を示すものの一つとしか思っていなかった。
あの子はダサいしオタクっぽいから一緒にいると恥ずかしいとか。
あの子といれば自分もイケてる人になれそうとか。
完全にそれだけで人を選別して、近づいていった。
中学時代にカーストの下層にいたことがコンプレックスで、それがバレないようにと必死だった(全然隠せていなかったと思うけど)。それが無用な壁を作ったと思う。
カラオケ行ったことないし、香水の付け方も知らないし(手首にシュッとしてもらったけど、その後どうしていいのか分からず固まってしまった)、異性と付き合ったことなんてないし、勉強しか興味ない人間だし、ノリ悪いし、つまんないですって、素直にさらけ出したところで、別に自分が恐れるまでのことは起きなかったかもしれない。
でもできなかった。