高校の(不)合格発表の日のこと

試験当日の感触から言って、受かっているとは考えにくかった。
試験の最後、5教科目の英語の時間、私はパニックになった。頭が真っ白になってしまい、長文が全然頭に入ってこない。
記憶が定かではないけど、ほとんど白紙の状態で提出したから、英語は0点に近かったと思う。
次の日の面接も、口下手なのにまったく何の準備もせずに受けてしまい、ボロボロだった。

発表の前日まで母親は「落ちているかも?」とは少しも思っていなかったのか、家の中はのんきな空気が流れていた。「この平穏な空気も今日までなんだろう」とか他人事のように思ったりしていた。
でもこの時はまだ私も淡い期待を捨てていなかったのかもしれない(他の教科が満点近ければ…とかアホな期待をしていた)。

やっぱり現実は厳しかった。
翌朝、9時まで待っても合格通知はこなかった。(合格していれば朝の早い時間に通知の葉書がくることになっていた)
市役所勤めだった父が役所前に貼りだされた合格者表を見に行ってくれたことで、不合格が確定した。
覚悟はしていたつもりだったが、やはりショックだった。

父からの電話を受けた母の、「落ちたの!?」と崩れ落ちるような叫び声だけは聞こえてきた。
その電話を切ったと思ったらすぐ、叔母から電話がかかってきた。
同じ市内に住む叔母のところにも、私と同い年の受験生(私のいとこ)がいたこともあり、「そっちはどうだった?」という電話だった。

母は泣きながらずっとヒステリックに何かわめいていた。
具体的に何をしゃべっていたのかは知らない。私は父からの電話の時からずっと、耳をふさいでトイレに閉じこもっていた。とても聞いていられなかったのだ。
私が失敗した時、辛い時、母は決まって本人そっちのけで激しく取り乱し、自分の気の収まらなさを周りの人間にぶつけまくる。

そんな母親を前にして当の本人は、どんな顔をして、どんな風にしていればいいのか分からなくなる。
本当は、泣きたかった。繕う余裕なんてなかった。ボロボロなのに何でもない顔するのはしんどい。
でも私がそうしたところで母は更にイライラして攻撃的になって、ますます自分が辛くなる。惨めになる。
だから家の中では何があっても飄々として、鈍感な自分でいる癖がついてしまっていた。
夜中になってやっと、声を立てずに布団の中で泣いた。

家の中がとにかく重苦しかった。
朝から晩までずーっと母親と二人きり(父親は役所の公務員で、3月のこの時期は毎年確定申告の仕事で忙しく、夜遅くまで帰ってこなかった)。
顔が合って会話にでもなれば嫌味や小言が始まり、普段なら流し捨てていたものも、全部染み込んできてしまう。

合否の発表から高校の入学式まで、あれほど長く感じた一月というものはなかった。

何もすることがなかった。
勉強から解放されて、何をしていいか分からなかった。
のこのこ遊びに出かけられる雰囲気でもなかったし、だいいち自分自身もとてもそんな気分にはなれなかった。
何をしていいかもわからないし、何もする気になれない。
毎日ただボーッと、隅っこで体を小さくしてテレビの番人をしていた。

出かけたといえば、制服や教科書を買いに行くくらいだったが、そういった進学の準備関連以外で唯一出かけたのが、小学校の同窓会だった。

私が落ちた高校に合格していた人も何人か来ていて、少し気まずかったけど、それでも久々に吸う外の空気は新鮮で、いい気分転換になった。

同窓会から帰ってテレビに目をやると、信じられない光景が映っていた。忘れもしない、地下鉄サリン事件が起こった日のことだった。