高校生活 その2

大学受験へのやる気、熱意だけは確かにみなぎっていた。
特に高校の入学当初は、「ここからどうやって這い上がってやるか」、そればかり考えていた。

黙ってても情報が入ってきて刺激受けまくりの進学校とは違い(←勝手な想像)、私は自分でどんどん先手を打って進めていかなければならないという思いから、入学当初からさっそく「情報」集めに走った。
受験は情報戦でもある。ただやみくもに努力するのでは絶対に勝てない。
自分一人では、大学受験という大海をどう泳いでいけばいいのか分からない。
もっとも効率的な方法、迷わずに、遠回りすることなく向こう岸にたどり着く方法を見つけ出すのは難しい。
中学の時の塾のような、方位磁針となる、信頼の置けるもの…そんな存在を見つけることが先決に思えた。

放課後になると連日パルコの7階だか8階の書店に通いつめ、Z会だの進研ゼミだののパンフレットを擦り切れるほど読んだ。
都会の大手書店ともなると、山のように参考書があった。選ぶ基準も分からないまま、何となくイメージで選んだ。文字がぎっしりつまって、難しそうなやつをと。
それを多い時で10冊近くも買い込んで、机の上にドンと積む。
でもそれを使って勉強することはほとんどなかった。

おかしい…。いざ机に向かっても、かつてのあのやる気が戻ってこない。
まだ高1だから、さすがに「大学受験」といっても遠い未来すぎて実感がわかないのかとも思った。色々あったし、少し休みたいのかとも思った。
しかし…先に書いたように、「大学受験」への熱意というか、いい大学に行きたい、一発逆転したい、という野望?だけはあり余るほどあった。それだけを支えに生きているようなものだった。このままで終わるものかと思っていた。

やる気がわき出るような受験情報本を読みまくって、自分に刺激を与えたりした。
でもいざ家で机に向かい、参考書を開き、ノートを広げ、ペンを持つと、その先に進む気になれない。
さっきまであんなにやりたかったことが、実際にそれを前にすると、これだとは思えないような。。

勉強がしたいというか、中学の時のような、勉強している時のあの充実感、達成感をまた味わいたかった。
私は一体どうしてしまったのだろう…?
何にもしないままどんどん過ぎていく時間に、ただただ焦りだけが募っていった。

机に向かって何もしなければしないほど、机に向かうことのできない時間は勉強のことばかり考えた。
学校に行っている時間、友達に遊びに誘われた時、ご飯を食べなきゃいけない、風呂の時間だ、もう寝なきゃ明日大変…、そんな時に急に焦り出す。時間が惜しく感じられる。結局ボーッとしているだけなのに夜遅くまで起きてしまい、次の日帰ってからバタンキューだったり。。

勉強をまったくやる気になれない状態を受け入れられず、無理やり自分を机に向かわせては何もできずに「明日こそは・・・」を繰り返す毎日。
馬鹿みたいだけど、毎夜毎夜「明日こそは」と本気で思って布団に入るのだ。

なぜ突然こうなったのかは分からなかったが、「なぜ」なんて考える時間すら勿体なく思えたし、考えることを拒否した。
勉強が嫌いになったのか、怠けたいのか、そう自分に問えばそうであるような気もしたが、それは違う!!という気持ちもあった。

確かにもともとコツコツ頑張ることが得意なタイプではない。
中学の時は、たまたま歯車がうまく噛みあいすぎた(?)だけで、もうあのような状態になることはできないのか、私はもう勉強に飽きてしまったのか、あれこれ考えた。
しかし、そうであったとしても、私は勉強を頑張らない(=理想の学歴を手に入れない)わけにはいかなかった。
そんなことは考えられない。
私にとって、大学受験で理想の成功を手に入れる、入れないは、「生きるか死ぬか」と同じ問題だった。
勉強に飽きた、はいそうですかと簡単に諦めたり妥協するわけにはいかなかった。
「自分が勉強を嫌いになる」など、考えただけで恐ろしい。
私は絶対に自分に勉強させなければいけなかった。
勉強を頑張らないその先の人生など、考えただけで恐ろしかった。

この現状を、勉強に対する激しい抵抗感を、全然受け入れられないのだ。
だから、「なぜ?」なんて考えてみることも恐ろしかった。自分が勉強が嫌い、やる気になれないなど、認められない、あってはならない、だからそんなことは考えない。考えることも恐ろしい。

この抵抗感はその先も続き、「受験」や「勉強」というものにしがみつけばしがみつくほど、強くなっていった。

この激しい抵抗感の正体が分かるのは、もっとずっと先のこととなる。