5年生に進級。
実はこの年、6年間の中ではかなり上り調子(?)な1年だった。
自分を嫌われ者と自覚し、なるべく大人しくというか、「余計なこと」をしないのがよかったのか、ある友達に気に入られ、仲良くなったのだ。
進級して少し経ってからの席替えで、クラスで人気者のリーダー格的存在の子と隣同士になったのだ。
もちろん仲良くなろうなんて全然思っていなかった。
相手も最初は私のことを、暗くて面白くない子だと思っていたらしい。
それが、「話してみたら意外と面白くて楽しい」と言われ、放課後など遊びに誘われるようになった。
土曜日はいつも学校が終わったらカップラーメンを持参してその子の家に遊びに行き、日が暮れるまで遊んで帰るというのが恒例になった。その子がおじいちゃんとデパートなどに遊びに行く時も、私も一緒に連れてってくれて、食事をご馳走になったりもした。
その子を通じて他の子とも親しくなったりした。
初めて”迎え入れられる”喜びを味わった。
毎日がとても楽しかった。
1年近くは、そんな楽しい日々が続いたと思う。
そこに少しずつ暗雲が立ち込めてきたのは、何かきっかけがあったか、積もり積もったものだったか、ずっと分からなかったけど、今思えば、あれかな?というのはある。
私は毎晩、その子と長電話をしていた。毎晩夜7時頃から、30分位はしていたと思う。ほぼかかってくるのは向こうからで、電話代はかからないから問題ないだろうと思い、初めのうちは私も楽しく電話していた。
でもあまりの毎日の長電話ぶりに、母がとうとうキレた。
まぁ当然だろう。ほぼ毎日、夕食時に子供が電話を占領しているのだから。
もう電話はやめなさいと言われた。
私も内心ではこうも毎日かかってくるのには辟易していた。
でも、言えなかった。
断ったら角が立つ。
断る役目なんか、負いたくない。
どういう言い方をすればいいかも分からない。
母親にどんなに言われても、電話がくれば何事もなかったように出てしまい、横で仁王立ちしている母親を平気で無視して、ダラダラ会話を続けてしまう。
私にとって親は、威厳がある存在でも怖い存在でもなかった。
母親が私に怒るのは、母親の強迫絡みの地雷を踏んだ時、母親の承認欲求を満たさない時、母親の感情を刺激した時であり、母親から社会のマナーやルールなどを教わったり、注意を受けたりなど、躾らしい躾をされた記憶はほとんどなかった。他人から見えない所では甘やかし放題だった。
板挟み状態になった私は、ある日とうとう禁断の「居留守」を使った。
何十分と電話は鳴り続けた。
座布団か何かを電話に覆い被せた。
次の日学校で、「昨日出かけてたの?」と言われた。
私はイラ立っていた。
出ないからって、あんなに何十分と鳴らし続ける?
いい加減気づいてよ!!って。
私はとても嫌な言い方をしてしまった。
「お母さんが毎日の電話が迷惑って言うの。だからもうしないでくれる?」
私じゃないよ、私が悪いんじゃないからね、お母さんが居留守使えって言ったんだもん!と言わんばかりに。
その子はあっけに取られ、とても傷ついたような、ショックな顔をしていた。そして、「ふーん分かった。もう電話しない」と言った。
それからもしばらくは今まで通り遊ぶことが続いたけど、だんだん些細なことで喧嘩が増え、その子は私から離れ、別のグループの子たちと仲良くするようになっていった。
一度クラスのリーダー格の子に気に入られて調子に乗った私は、そんなに付き合いもなかった別のグループに無理やり割って入ろうとした。
その後は散々だった。私の本質は全然変わっていなかったというか、まぁ・・・社会性がないっていうのか、他人からしたら相当「ウザい」「イラッとくる」キャラで。色々やらかした。
卒業の頃には完全に孤立していた(修学旅行の班決めですでにたらい回しにあっていた)。