劣等感

母は、劣等感の塊のような人だ。
恐ろしく自分に自信がない。
「どうせ私は馬鹿でアホだし」「何にもできない人間だし」、これが母の口癖だ。

そして”そんな自分”から生まれた子供など尚更信用することのできない、危なっかしくてハラハラドキドキの存在なのだろう。
あるいは、せめて自分の子ぐらいからは、認められたい、自分に従わせたい、支配したい、母からはそんな欲求がヒシヒシと感じられた。
劣等感が強い人は、自分より弱い人間にはビックリするほど支配的になる。

「お母さんがいないと何にもできない子」を無自覚に作り上げ、
成功すれば、「お母さんのおかげで」と言われたい。
「お母さんの言うとおりにしたから成功した」と言わせたい。
失敗すれば、「お母さんの言うとおりにしなかったから失敗した」と、
私が後悔する展開を望む。

母にとって「子供」とは、自分の承認欲求を満たすのに好きにしていい道具、という認識だったと思う。
実際、愛情かけて育てている見返りとして、求めて当然のものと言い切っている。

よくテレビや雑誌などで、スパルタ教育や親子二人三脚で成功した例のスポーツ選手や芸術家が、「ここまで来れたのは母のおかげです」などと言っているのを見るが、母はそういうのを心底羨ましそうに見る。
そして決まって「よく親の言うとおりにするね。ウチじゃあり得ないことだわ」と聞こえよがしに言う。
逆に、親の過剰な期待や抑圧で事件を起こしてしまう人の報道で、コメンテーターなどが親の問題に言及すると、ムキになって親の側をかばいチャンネルを変えていた。

私はどんな干渉にもめいっぱい反抗する子供だったが、それも母の劣等感を刺激した。

「どうしてお母さんの言うことが聞けないの!お母さんが馬鹿でアホだから?」
「(父に向かって)ほら、お父さんが私(母)のこといつも馬鹿だのアホだの言うから、この子まで私を馬鹿にするようになった」
「私は親だよアンタの親だよ!私が正しいに決まってるのに、どうして素直に聞けないの!!」と泣きながら私の肩をつかんで揺さぶった。
被害妄想もひどく、言ってもいないことを言ったといって泣かれたり、母が用意した食べ物に気づかず自分で用意して食べたら、「私のことを憎んでいるから食べなかったんだ」と、後々まで恨まれた。

母はよく泣いた。喚くように泣くことも、さめざめと泣くことも。
親を泣かせてしまうというのは、子供を簡単に黙らせる威力があった。
母は自分に同意しない人間をすぐに「自分のことを馬鹿にしている」「軽んじている」と取った。

そんな私も、母親のコピー人間のようだと感じることがある。
お互いが、片方が劣等感から押さえつけ、もう片方も劣等感からそれに反発する…劣等感の塊の人間が、子供にも劣等感を植えつけ、その子供も劣等感の塊のような人間に育ち、劣等感の塊同士がぶつかる。
母は自分が何でもぶつけらる唯一の仲間を得たのだ。