毒になる親

毒になる親 一生苦しむ子供
講談社+α文庫
スーザン・フォワード (著)

おそらく「毒親」という言葉が生まれ、世に広まるきっかけとなった本ではないかと思う。
私自身はこの本を読んだことはないので本について語る資格はないのだけど、
ネットの悩み相談系の掲示板で、
この本に当てはまるうちの親は毒親か?
自分(質問主)はそう思うけど、違うと言われたら反論できない、
(自分の親を毒親だと思う)私は正しいか?間違っているか?何が正解か?

という質問を見つけ、フツフツと湧く思いがあったので、それについて書いてみたいと思う。

こういった本を読むことで、その人が辛い気持ちから解放され、前に進めるようになり、結果的に人生が良い方向に向かうなら、それがその人にとっての「正解」なのだと思う。
第三者に、「正しい」とか「間違っている」とか審判をされるような問題ではないと思う。

アダルトチルドレンなんかの考え方も同様だけど、
こういった本の目的って、「自分は悪くなかった」と思える、心の解放だと思う。

「自分は悪くない」なんて気持ち、初めは怖くてなかなか表に出せない。
特に親子関係に関しては、「自分は悪くない」「親の方に問題がある」などと言うことは大変罪深いという空気がある。
そんなことを他人に言えば、大抵はとりつくしまもなく非難囂々だ。
殺されかけるくらいまでいけば許されそうだが、よほどの”レベル”をクリアしない限り、「親に問題が」の主張は認めてもらえない。「そのくらいどこの家でもある」と一蹴されたりする。
親をかばう、擁護する意見はこの世にたくさんあっても、自分のことを心から「辛かったね」「あなたは何も悪くない」と気持ちを分かってくれる人はほとんどいない。
だからこそ、このような本も必要になってくるのだと思う。

「自分が悪いわけではなかった」と思うことは、(自分は悪くないからと)親を責めたり自分の力で何もしないこととは違う。
「”○○(←自分以外の人や環境)に原因があった”と思うこと」と「○○のせいにする」は、全然別のことだと思う。

親が原因だろうと何だろうと、自分の人生を何とかしなければいけないのは自分自身。生い立ちがどうだ、育てられ方がどうだと言っても、その人が何かをして世間が評価を下すのはその人自身に対してで、立て直しや尻拭いは本人以外がすることはできない。そんなことは誰だって分かっていると思う。

どう考えても親は関係ないことに対して「親が原因で~」というのは、「親のせいにしている」という批判にあたるかもしれない。
でもそれは、ものすごく考えにくい。
本当に親に原因がないなんてケースは、ほぼないと思う。
何年も、人生こじらせて、いい年になっても「自分の親は毒親だったのでは…」と真剣に悩む人には、やはりそれ相応の歴史がある。
逆にどうして、四六時中観察してきたわけでもない第三者が、「親は関係ない」とか断言できるのだろうか?
自分も似た環境で育ったから?
同じ家で育った兄弟姉妹がいたとして、その兄弟姉妹は親のことでそんなに悩んでいなかったから?
子どもの持って生まれた気質によって、兄弟で同じことをされても影響の受け方には差が出るかもしれない。でもそうだとして、じゃあその結果は子どもの「気質」が原因になるのか?
それは違う。やっぱり原因はあくまで「親」であるはずだ。

よく中高生や、あるいはもっと大人になってから、親と上手くいかない悩みをネットで見かけるが、そしてそれに対する答えは決まって「もういい年なんだから、親のせいにしてないで」だけど、毒親はたぶん、その人がオギャーと生まれた時から毒親だった。
相談時に急に始まったことではない、つまり、健全な自我が育ち、ある程度自分で考えて判断する力もついてから始まったことではないのだ。
むしろ子供が自分の力で考えて判断することを許してこなかったのが毒親。
子供の「社会で生きていくための土台となる力」を阻害するのが毒親。
子供は衣食住を与えていればそれだけで育つわけではない。体は勝手に大きくなるけど、心は育たない。それでは社会で生きていくことはできないのだ。

ただし、こういった本を味方につけて親に非を認めさせようとか謝罪を求めたりというのは得策ではないと思う。
たぶん、どんな訴えかけをもってしても、不可能に近いくらい難しいことだと思うから。
毒親と称されるような親は、子育てにおいて自分の間違いは絶対に認めないと思う。間違いを認めるとまではいかなくても、ちょこっとでも自分を省みてみる、ということすらできない(そもそもそんなことができるなら最初から毒親になどなっていない)。
だから親に分かってもらおうとするのはたいてい徒労に終わる。

第三者の共感や賛同を得ることも難しいかも。
同じ毒親育ちですら、例えばネグレクト系の虐待で育った人が、過干渉、コントロールしたがり系の親持ちの悩みは分からないというのを見たことがあるし、その逆もあるだろう。

私にとって「自分が悪いわけじゃなかった」と思うことは、自己肯定感を取り戻すために必要な第一歩だった。
親が「私の問題」「私が悪いから」としてきたことは、実は「私の問題」ではなく「親自身の問題」だったんだ!ということに気づけた時、劣等感とか怒りとか、それまで足かせになっていたものがスーッと取れた気がした。
そこから、「自分の人生を自分で何とかする」ことに、前向きに取り組めるようになったと思う。
むしろ親に対する感情が何なのか分からず、ただモヤモヤとした感情に翻弄されていた時の方が、誰かの同意を得たいとか、親に非を認めさせたいとかそういうことに必死で、とても「前向き」にはなれなかった。