母親自身、「何もしない人」

母親は、文句のつけようがないくらい、完璧にやってみせでもしない限り、私に何かを任せようということがなかった。

私が初めてのことをやろうとする時、母が決まって言うのは、
「できるの?」「自信はあるの?」「もしできなかったどうするの」「恥かくよ」

今も昔も、私が物心ついた頃から、大人になった今も、これはずっと変わっていない。

初めてのことに対して「やるなら完璧にやれ」「完璧にできないならやるな」とは、よく考えればむちゃくちゃ過ぎる言い分だが、本人にそういう自覚はない。

どうしてなのかと考えていて、ひとつ気づいたことがあった。

母親自身が、徹底して「何もしない」人なのだ。
分からないこと、知らないことは徹底して避ける。
新しいことを覚えるのを怖がる。
分からない、知らない、できないというのは、恥ずべきことだと思っている。
それが人にバレる状況を徹底して避ける結果、何もしない。

母親は今60代だが、一人で電車に乗れない(切符の買い方、改札を出てからホームへの行き方、電光掲示板の見方などが分からない)。
ATMでお金をおろしたりができない。
「教えてあげるよ」と言っても、覚えることも怖がってしようとしない。

どれもこれも、ほとんどのことを、「分からない。恥ずかしい」と言ってしてこなかった。これでは永遠にできない。

「できない自分」を直視できない。
母親を見ていると、分からない、出来ない状態から、できるよう努力してみようとすることがほとんどない。
恥をかきそうになる(自分で「恥をかく」と思い込む)瞬間を徹底して回避しようとする。
失敗が恐いから極力「何もしない」。それが一番なのだと言う。

だからだろう。
自分以外の人間には、簡単に「完璧」を要求する。失敗すると貶しまくる。
自分がやらないから、その難しさや大変さが分からないのだ。

自分が頑張れないから、頑張っている人を見ると引きずり下ろしたくなる。
どうせそんなことやってもムダ、変わらないから、アンタには無理、いい年してなど、否定言葉のオンパレード。
自分がやりたくても失敗や恥を恐れてできないことを他の誰かがしているのを見ると、クソミソに罵る。

何かに努力する人、行動する人を批判し、失敗をあざ笑う。
でも実は人の失敗は嬉しいし、安心になる。
自分よりできない人、分からない人を見つけると安心する。
そうやって常に「やらない言い訳」を探して、「やらない自分」を正当化するのだ。