コップに飲み物を注ぐ

何でも「できないって」「無理だって」の一点張りで、「あっ」と思ったらすでに母親が手を出している、それでいて、他の子ができているのを目の当たりにすると急に焦り出し、「やってみなさい」と恐ろしい形相で迫ってくる、そんなことがたびたびあった。
手のひら返したように、できないことに焦り出し、責め始める。
「こんなこともできないなんて」と一人勝手にあわて始める。

小学校に上がるちょっと前くらいの時だったと思う。
それまでずっと、ペットボトルや紙パックの飲料が飲みたくなったら、コップに注ぐのを母か父にやってもらわないといけなかった。
「自分でやりたい」とせがんだことも何度かあった。父がいる時は「やらせてみろよ」と援護してくれることもあった。

子供というのは本来自立心が旺盛で、何でも自分でやってみたいという欲求が強いものだと思う。私もそうだった。
でもいつも決まってコップを落として割った話を持ちだされて止められるので、そのうち諦めた。

ところがある日突然、本当に突然、「自分でやってみなさい」と迫られたのだ。

驚いた。突然どうしたのかと思った。恐らくどこかで私と同じくらい年齢の子が普通にできているのを見て急に焦りだしたとか、そんなところじゃないかとは思うが。
あるいは記憶が曖昧だけど、どこかから帰ってきた直後のことだったので、その出先で何かあって、急に「やってみなさい」ということになったのかもしれない。

今まで「やりたい」「できる」と言っても「ダーーーメだって!!!」の一点張りだったのが一転して、今度は「できるよね?」「できないなんて言わせないよ」と言わんばかり。

「さぁやってみなさい」と、目の前に紙パックのジュースとコップが置かれた。

私は急に怖気づいた。
飲み物をコップに注ぐなんて、パックの注ぎ口をコップの中に近づけ、中身が流れてくるように傾ける、満杯の一歩手前まできたら、傾けを元に戻す、ただそれだけのことだ。
それぐらい私にだってできる、ずっとそう思ってきたはずだった。

私は紙パックの注ぎ口をコップに向けて傾け、中身を注ぎ始めた。
だんだん満杯に近づいてくる。そろそろ傾けている紙パックを元に戻さなければならない…そう分かっていても、なぜか腕を動かせなかった。
ジュースがコップからあふれ床に落ちはじめたところで母が止めに入った。ガンガンに怒られた。

「できる」という自信の感覚がある一方で、逆に自分が「できてしまう」ことに違和感も覚えた。
「こうやる」って頭では分かってたことを、体に移行できないというか・・・。
そんな心の右往左往を尻目に、コップはあっという間に満杯に近づいた。
私はもうすべてを諦めた心境で、「ほらね、やっぱりできなかったでしょ」という自分を選んだ。

この手の急な手のひら返しは他にもたくさんあった。
今まで散々「(私には)無理」「できない」と、私がそれをやることを全力で止めてきて、それがある日突然「そんなこともできないでどうするの!」になる。
たいていは、「周りの子が普通にやっているのを見た時」だと思う。
つい昨日まで「アンタには無理」と言っていた人が、「○○ちゃんはやってるのに、アンタは…」と、どの口が言うのかということを平然と言う。
昨日まで言っていたことは、本当にきれいさっぱり「なかったこと」になっている。
それを言うと、「お母さんのせいにしてどうするの」と判で押したような言い逃れをするのだ。