私はよく言われるような、親の前でいい子を演じようとするとか、親の期待に沿おうと必死に努力するような健気な子ではなかったし、従順でもなかった。
親に右向けと言われれば左向く、そんな子だった。
うるさく干渉されればされるほど、反発心もそれだけ強まった。
母親とはしょっちゅうバトルを繰り返した。
「母親に自分を認めさせることが人生のすべて」みたいになっていた時期もある。
母親にあれこれ口を出されることが、私の劣等感を刺激した。
干渉されると条件反射的に、「自分は口出しされる人間」と言われてるような気分になった。過度な干渉も、冷静に振り返ればそうではないものでも。
特に「人前での子供扱い」が気に障った。
相手は「私」に聞いているのに、母がすかさず答えようとするようなことはやめて欲しい、大勢の前で幼児のような扱いをするのはやめて欲しい、私の意思を無いものと見なすような勝手な行動はやめて欲しい、子供にだっていっぱしのプライドや羞恥心、面目というものがある……!!そんな、言葉にならない感情が渦巻いた。
人前では「子供に厳しい母親」に見られたかったのか、よその子の前だとよく私を貶した。
“謙遜”のレベルを超えた本気の貶しで、聞かされた友達は引いているし、私もどんな顔すればいいか分からない。
「自分を良く見せるための発言」というのがいかにも感じ取れて、その嫌らしさに何とも腹が立った。
母親が見ている前で何かをするのは、いつ何を言われるかと気が気じゃなかった。
ありのままでいられない、思いのままに、自由に振る舞えないという窮屈さを常に感じていた。
でも外で母に対してカッとなっても、その場では怒りや文句などは決して表に出せなかった。
小さい頃の私はいわゆる「内弁慶」で、他人の前では借りてきた猫のように大人しくなってしまう。
まして「感情を出す」「親に反発する」ところを公衆の面前にさらすなど、絶対にできなかった。
周りのみんなは、親子仲が良さそうだったから。
カッとなってもその場ではそれを引っ込め、家に帰ってから溜め込んだ不満を爆発させるという、典型的な内弁慶だった。
過剰反応もあったと思う。他人から見れば別にそこまで恥ずかしいことじゃないことを、「恥ずかしい」と思いすぎたりとか。
それは分かっている部分もあったけど、親に口を出されることが、必要以上に恥ずかしく、カッコ悪いことのように感じてカッとなった。
放任されること、構われないことに憧れや羨望を持つようになった。