19歳から35歳まで引きこもっていた

だから、16年?
我ながらすごいなと思う。生まれた赤ちゃんが高校生になる月日だ。

ただ高校卒業後の最初の2~3年は、自称浪人生として予備校に行ったり、たまに友達と遊んだりと、かろうじて社会との接触はあった。さらにその後2年ほどアルバイト生活を送ったから、完全にどこにも行かず誰との連絡も断ち切っての引きこもりは、24歳からということになる。

引きこもりと言っても色々あるようで、夜になると外に出るとか、散歩程度の外出はする、コンビニやちょっとした買い物は自分で行くという人から、家どころか自室から一歩も出ないという人まで様々のようだ。

私はというと、
最初の数年は、年に数回くらいは外に出ていた。近所のドラッグストアに買い物とか。
しかしその後はまったく外に出なくなった。3年間で1回しか外出しなかった時期もある(私の問題は「それで全然平気だった」ということだろうか)。
一応無職ニートとしてなるべくお金を使わないことを意識したし、どうしても必要な日用品などは親に買ってきてもらうかネット通販で済ませていた。外を探索したくなったらもっぱらGoogle Earth。
ネットで得られる知識だけつけて、色んなことを体験した気になっていた(ネットは引きこもりの人間にとって酸素ボンベ、命綱みたいなもん。それがないと息ができない)。

当時の私は外が怖い、人が怖いなんて思っていなかったし、その気になればいつでも出られると思ってた(私が引きこもった理由は一言で言うなら「完璧な自分にならなければ、外に出れない」だから)。
外が怖いというより、出かける準備がしんどかった。
たかが買い物、ちょっと外に出るくらいでも、準備に大変な時間がかかった。
当時の私は色々な理由から歯磨きに2時間、風呂に40分(シャワーのみで)、風呂に入る前の掃除に2時間、化粧やヘアセットに1時間かかってた。昼頃家を出るのに、まだ夜が明ける前から準備していた。

16年間もの間、家で何をしていたかというと、
詳しいことは「生い立ち」や「強迫性障害」のカテゴリで書いているけど、
勉強するのが嫌なのに何年も「大学受験」にしがみつき、
そしてひたすら、「書いて」いた(正確には”パソコンのキーボードを打っていた”)。
何を書いていたかというと、自分の心の中、わいてくるものを。
ちょっとでも何か考えてしまったらそれを言語化しないと気が済まなかったのだ。
あとは、掃除、ネットの掲示板徘徊など。

今もってあの当時の自分を上手く説明できないけど、
書く=自分の内面にべったり張り付いて、そこから離れることができなかった。
1日中、中毒のように、自分の内面に張り付いて、自分の感情になぜ?なぜ?って追求しまくって(それを書く)、その作業から引き離されると精神不安定になり居てもたってもいられなくなった。それが30歳頃まで続いた。

「完璧な自分」にならないと外に出られないと思ってた。
今の自分じゃ、まだダメ。もっとここがああなってから、あそこを直してから、こういう自分になってから、誰からもバカにされない、ケチをつけられない自分になる、心の問題も全部解決して、完璧な準備をしてから…って。
いつまでたっても「まだダメ、まだ、まだ…」。自分の思う「完璧」など、幻想でしかないのに。
とにかく傷つくのが怖かった。

大学受験で最高の結果を残さない限り、
「自分」を書ききるまで、
「自分」を解明しきるまで、
他のことが一切できない、

短くまとめればこれが私の引きこもり理由だと思う。

一生これ(自分の内面から離れられない)が続くのかと思ったが、”終わる時”もくるのか、ある時急に、とくにきっかけもなく、「もう気が済んだ」かのように、書くことから離れて他のことをしてみる、「行動」をすることが平気になっていった。

その後、少しずつ、色んなことをしてみたい欲求がわいてきた。
まずは、昼夜逆転を直すとか、起きたい時に起きて寝たい時に寝るという生活を改め、睡眠時間を一定にするなど、生活態度を改めていった。これはやってみれば案外すんなりできた。
あとは歯磨きの時間を短くするなど、基本的身支度が日常を圧迫しない時間内でできるようにする訓練?をしてみたり。
趣味も、お金がなかったのでできることは限られたけど、YouTubeの料理動画やお菓子作りの動画にはまり、自分でもあれこれ作ってみるようになった。たかが料理からも手際や効率など色んなことが学べる。あとホームページを作ったりしていた。

だんだんと、そろそろ外に出たい、働きたいという気持ちも芽生えてきてはいたが、何しろ怖かった。
「今まで何してたの?」と聞かれることが。30過ぎで職歴なしという現実が。
履歴書を作ろうと思っても、経歴欄に「●●高校卒業」以降、何も書くことがない。資格もなし(その時自動車免許もなし)。
自分の真っ白な履歴を人に差し出すことを考えると恐れおののき、足踏み状態でいた。

それに私はこの期に及んでもまだ「社会的にリッパな肩書き」への未練を捨てきれず、アホなことを目論んでもいた。
何とかして今からでもエリートコースに間に合う方法はないものかと、看護系の大学へ行って看護師になれないかとか考えたりしていた。そんな夢は、実際に外で働き始めて早々に潰えるのだが。

そんな風に精神的な問題をちまちまと解決していきつつ、外に出たいと思いながらも出られずにダラダラと過ごす年月が続いていたのだが、ついにこの生活に終止符を打つ強烈なきっかけが訪れた。

父親の死だった。