オシャレにかけられる(お金)余裕がありません。
どれだけ、安くオシャレに…というか、それなりに楽しめるか勝負みたいなところがあり、本当に情けなくなります。
世間一般の意見や(私の知人の意見)では、30歳にもなったら…「それなりのものを身につけなければならない」と言われていますが、
私には無理です。
根っから貧乏性なところがありますし、事実、派遣で貧乏ですし…
考え始めると、本当に悲しくなり、生きていることや、「オシャレ」なんか意識していることが、自分のような分際で恥ずかしくなります。
でも、今は今しかないというか…二十代はひどく太っていたので、オシャレの欠片もない生活でした。だから、今のうちに少しは楽しみたいとも思うのですが。
でも、若くないので色々、ルールというか、安物はいけないとか、規制がかかってしまう現実が苦しいというか…。仕方がないし、私がいけないのですが。
本当に生きていることにさえネガティブに陥ってしまいます。
前向きになりたいです。
あと、先週30歳になったのですが、やはりキュロットにレギンスとか、花柄とか、着たいけれど年齢的にはもうダメですよね?
考えすぎて、本当に30歳になってから憂鬱な日々を送っており、精神的に参っています。
どうしたら前向きに生きていけるでしょうか?
とある掲示板に掲載されていた質問。
こういうの、すごいよく分かる。
まずいろいろ突っ込みたい点。
30歳にもなったら…「それなりのものを身につけなければならない」と言われていますが
「いけない」って言い方が、なんかムズッとするけどねぇ・・・。本当に誰かがそう言ったのかは疑問だけど。そうやって言う人って多いでしょ!!という当てつけの意味かとも思った。
もし本当にそう言う人がいるとすれば、それってその人の「高いものを買う」行為を正当化したいだけの言葉ではないか。
あるいは逆にその人は、ファッションにお金をかけることにとやかく言われた経験があるのかもしれないと想像してしまった。
思うのだけど、オシャレに無頓着な人に対するお節介や失礼発言も多いけど、オシャレ大好き!!な人(ファッションにすごいこだわりを持つ人やお金をかける人)に対する”余計なお世話”や偏見というのもまた多い気がする。
(さすがに最近そういうこと言う人はあんまりいないと思うけど…)着飾ることに対して、外見ばっかりとか、高いもの、ブランド品買う人への嫌味とか、浮薄、軽薄というイメージ。
何にどれだけの価値を感じるかなんて人それぞれで、ファッションなどはその最たるもんだと思う。
うん万てするTシャツでも欲しいと思う人もいれば、Tシャツは500円でいいという人もいる。
買う人はその服に「○円を出してでも買いたいと思える価値を感じた」から買った、ただそれだけなのに、いちいち「~歳をすぎたら良いもの着るべきだしね」とか言い訳がましく言ったり人に価値観押しつけてる人を見ると、正直うへぇ・・・という気分になる。
お金をかける人、高いもの買う人(しかも自分の稼いだお金で)に、嫌味なこと言う人にも同様に。Tシャツにうん万も出すなんて~みたいな感じで。それはそれで、そんなのその人の勝手でしょと思う。
不必要なまでのオシャレの正当化、オシャレ大好きな人のオシャレしない人に対するオシャレの強要、無駄にキツイ言葉の裏には、そういった心理が見え隠れする気がした。
若くないので色々、ルールというか、安物はいけないとか、規制がかかってしまう現実が苦しいというか…。…略… やはりキュロットにレギンスとか、花柄とか、着たいけれど年齢的にはもうダメですよね?
なんか、すごいよく分かる文章だ。
私にもあった。もう流行も適齢期もすぎてしまったけれど昔憧れだった(でもその当時は何らかの理由で買えなかった)ファッションがいつまでも塊みたいに胸の中に残ってるっていうの。
自分が着たいもの着ちゃダメってことはないはずだよね?と思っても、現実には、あれはタブー、これは痛い、○○だったら××するべきとかいうルールが立ちはだかり、それを”規制”と感じて苦しんだ。
でもよくよく考えれば、私は本来、そういった”規制”には大人しく従いたい方なはずなのだ。
だって、「ダサい」とか「痛い」と思われることをもっとも恐れるのだから。
それならタブーは大人しく避けたほうが身の為だし、痛いと言われるものは着ないほうが精神衛生上安心だ。
自分が着たいもの着ることより、人から見て変じゃないということの方が私にとってずっと重要だった。
なのになぜ、規制と感じて苦しくなったり反発してしまったのだろう?
これもやっぱり、オシャレ=楽しいもの、自由なものというイメージがこの質問主さんにも私にもあって、それが色々と邪魔をしているんかなぁと思う。
雑誌なんかのキャッチコピーには、オシャレは”楽しもう”♪とか、自由に自分の着たいもの着よう♪とか寛容っぽい言葉が並ぶけど、実際はファッションって、規制やルールや批評、人の目だらけ。そこにむしょうに反発を覚えたというのもある。”自由で楽しくあるべき”とか言うくせに、なんでそんなにあれはダメとかこれはタブーがあるんだ!?と。
でもそもそも自分がオシャレをする(自分をオシャレに駆り立てる)最大の理由は何なのか?って考えると、「楽しむ」とか「服が好き」とか「自由」とか、そんなのは二の次で。
一番は、人にバカにされたくないとか、周りから浮きたくない、ダサいカッコで人に笑われたくないとか。「楽しい」とか「自由」とは対極にある動機。
でも長く自分の中では、楽しむためにとか、質の良いものを身に着けたいから~とか、なんだかきれいな理由が動機だと思いこんでいた。
そもそもが、自分がオシャレする最大の理由を見失ってるっていうのかな・・・。
どうにも、ファッション=楽しむべきもの、自由なものというイメージ、刷り込みが強すぎて、そうできないと苦しくなる。
「オシャレ」に対するイメージ、オシャレすることを奨励する言葉が何かを隠すように美しくて(楽しむためとか、良いことだからとか、周りのためとか、マナーとかなんとか)、優越を得たい、人にオシャレ度で負けたくないとか、バカにされたくないとか、オシャレじゃないと惨めになるからとか、そういう本音は、なかなか「自分がそう思っている」ということに気づきがたい。
でもそこをはっきりさせないで、自己欺瞞の状態でオシャレをしていると、色々と行動に制限がかかってしまう気がするのだ。
私は色んなことに気づけた時、規制を規制とは感じなくなり、気持ちよくオシャレに邁進できるようになった。