「オシャレ」というものに対して、ずっとモヤモヤした思いがあった。
私にとってオシャレは、すごくしたいものの一方で、苦しいものでもあった。
ふと我に返って、苦痛なのになんでここまで執着してるのか?と自分で自分が分からなくなる時もあった。
オシャレなんて別に「絶対に」しなくちゃいけないものでもないのに。
いっそオシャレへの興味がなくなれば、オシャレなんかしなくてもヘーキで外に出られるようになれば、どれほど楽になれるかと思ったり。
昔から、人が特に苦もなく楽しそうにできていることが自分は苦戦する、というのはよくあることだった。それにしてもなんで自分はこんなにもがいているのかと。
私があんなにオシャレオシャレ!となったのは、突きつめれば学歴が欲しかった心理と一緒だと思う。
私にとって着飾ることも学歴も、人に自慢するためにチラつかせるアクセサリー的存在でしかなかった。
学歴は欲しかったけど特に大学で学びたいことやその学歴を活かしてやりたいことがあるわけでもなかったし、着飾るという行為も様々な理由からストレスの方が大きかった。
あの頃の私が欲しかったものはただ2つ、名前に価値のある大学の合格、在学歴と、今風の外見、そんなことだった。(なんか貧相すぎる欲望だな…)
ネットの悩み相談系サイトで、こういう相談があった。
質問者は、幼い頃から親に「可愛く見られたい」という自然発生する感情を徹底して封じ込められ、ちょっとでも洒落気づこうものならボコボコに殴られたり絶対必要なお金を出してもらえなかったりで、オシャレとはふしだらな行為で、売女(←「ばいた」と読むのね)がするようなことだと教えられ育ったのだという。
そんなんで、高校卒業まで服は一切買ってもらえず、髪も母親のカットで散切り頭にされていた。
質問者自身も母親に完全に洗脳され、「オシャレとはふしだらでとんでもない悪行だ」という考えがすっかり脳に染み付いてしまっていた。
でも大学生ともなると、母親の教えと目の前の現実に、だんだん食い違いを感じるようになる。
目の前に映る光景は、ふしだらで悪の極みであるはずだったオシャレを楽しみ、キラキラ輝いている人たちで溢れている。
オシャレは良いことなのだと意識を変えるしかなかった。私もオシャレをしたい!と思うようになったけど、母親の刷り込みが強すぎて、オシャレ=悪いことという考えが抜けず、オシャレをしようとしてもどうしても罪悪感で苦しくなる、どうすれば周囲みたいに楽しくオシャレができるようになるか?という内容だった。
私の母親もこうだったというわけではないけど、私はこの人の気持ち、すんごくよく分かるような気がした。
罪悪感まではないけど、「オシャレが苦しい」という部分が。
苦しいのに、やりたがっている、やりたいのに、なぜか苦しい・・・みたいな心のぐちゃぐちゃ感が。
端から見れば「やりたいならやればいいのに」くらいなものだと思う。時々自分でも自分に対してそう思うくらいだった。
ダイエットとか根本のファッションセンスを磨くとなると一朝一夕には無理だけど、服や化粧品を買うとか美容院に行くとかは、お金さえあれば特にハードルが高い行為ではない。でもそれすらストレスで胃が痛くなることもあった。
ちなみに私も…ふしだらとか売女までは思わないが、これから書くことはものすごい偏見だとは分かっているけど、どうしても、派手な格好やメイク、大胆な服装、特にギャル系の人を見ると、「悪い人」に見えてしまうという癖が抜けない。
この「悪い」の感覚の説明は難しいが、例えばそういう外見の人の、心優しい一面を見たり、親と仲が良かったりお互い思いやっていたり、いい人エピソードを聞くと、「え…!?」となってしまう。軽い衝撃を受ける。偏見だとは分かっていても、どうしても、その行動とその人が、頭の中でカチッとつながらない。
この人の場合、親からオシャレとは売女のような人がやるもの、悪いこと、ふしだらなことと刷り込まれてきたけど、実際は、それとは真逆だった。
現実の世界では、オシャレは「良いこと」だとされ、誰もがやっている。特に大学生くらいの年頃であれば、まったくしていない人の方が珍しいだろう。
周りからはこう言われるのだろう。
オシャレは良いことだよ!楽しいよ!女に生まれたのだから、オシャレは楽しまなくっちゃ!と。
オシャレは「良いこと」だから、「楽しいこと」だからやる、私もずっとそう思ってきた。
でもそう思っているうちは、オシャレは苦行でしかなかった。そんなの自己欺瞞だから。
全然、良いことだとも楽しいことだとも思えていなかったのだから。
にもかかわらず、なぜ私はあんなにオシャレがしたい、しなければと思っていたのか?
それは、「人の目が気になるから」だと思う。
女心として、可愛くなれたらそりゃ嬉しいし、素敵なファッションに身を包めたら心浮き立つけど、でも本音では服なんて何でもいい、体を覆い、暑さ寒さをしのげればそれでいいと思っている。誰にも見られなければオシャレなんかしない。
だけど、何だかんだ言って「見た目」が人に与える印象は大きい(20~30代の女性なら特に)。
人に笑われたくはない。
「オシャレな人」というより、”それなりにオシャレに気を使っている人”には見られたい。
だから私はオシャレをする。
質問の方も、書き込みの内容を見る限りオシャレが苦痛で仕方がないといった感じなのに、なぜその苦しいオシャレにそんなにしがみつくのだろう?
それは間違っても「楽しいから」ではなく、すごく後ろ向きな、追いつめられたような、「しなきゃいけない」という切迫した?感情からのように思える。オシャレじゃないと、ダサいと、恥ずかしい!惨めな思いする!そんな強迫観念のような。
質問に対し寄せられたアドバイスも、何とかして質問者がオシャレに興味が持てるよう、オシャレを楽しい、いいことだと思えるようになるにはどうしたらいいだろう?と必死に模索するような回答ばかりだった。少なくとも「そんなに嫌ならしなけりゃいいじゃん。オシャレしないと死ぬわけじゃあるまいし」的な回答はなかった。
大学生くらいの若い世代のコミュニティだと特に、オシャレはある程度はしていないと「恥ずかしい」、ダサいことは人から「バカにされる」、周りから「浮く」、そういう現実は歴然とあると思う。
心からファッションが好きでオシャレを楽しんでいる人もたくさんいるだろう一方で、オシャレは「いいこと」というより、「していないと恥ずかしいこと」だからと、なかば義務的にオシャレに駆り立てられている人も多いんじゃないかと思う(清潔感とかTPOという身だしなみを超えたレベルで)。
私が言いたいのは、
そういう一部の世の中(オシャレしないと惨めになる集団、社会)に対する恨みではなく、
そもそもなんで自分はオシャレがしたいのか
自分は「服を着る」ということに何を求めるか
その点が自分の中でぼやけていたり、あるいは自分に嘘をついたりしているから、オシャレが苦しくなるのではないかと思うのだ。
やりたいのに辛いとか、自分を邪魔するのは、どこかで自分を騙して、誤魔化して、自分にその行動をさせようとしているからではないかと。
「自分の究極の本音」「自分がその行動をしたい”真の理由”」に気づければ、案外、すんなりそれをやれるんじゃないかと思うのだ。
人からバカにされて、惨めな思いをして、ヘーキでいられるという人はあまりいないと思う。
ダサくなりたくない、人に格好のことでバカにされたくない、オシャレになりたい、だからオシャレする!それでいいじゃない、と思うけど、でもそういう理由自体なんか「ダサく」思えて、そんな理由では「いけない」ような気がして、押さえ込む。
オシャレになにか、もっともらしい理由、あるいは立派な精神性がなきゃいけないような気がしてくる。
「良いことだから」とか。周りを不快にさせないためとか。高い服やブランド服を買う時は「年齢を重ねたらいいもの着るべきだし」とか、安物は質が悪いとか。彼氏や旦那さんのためとか。
・・・いや、どの理由も「間違っている」ということはないのだけど。
そーゆー人や、そーゆー場合も、あるのだろうけど。
ただ、特に”そーゆー場合”でもないような人に対するオシャレ好きな人の「だからオシャレはする”べき”だよね」みたいな論調を聞くと、正直ウヘェ・・・となる。
ホントにそんな理由でオシャレしてるの??って。
ちゃうでしょ、単に「したい」からなだけでしょ、って。
高い服を買うのは、その服を手に入れることに”それだけのお金を出してもいいと思える価値を感じた”から買った、ただそれだけのことでしょって。
そこに合理的な意味って必要なんだろうか。
オシャレをそんなに”正当化”しないとダメかな。
自分が「したい」ことが、それをすることがいかに正しいかを、いちいち言い訳がましく主張しないとダメかなって。
オシャレはふしだらとか売女のすることというのは、それはそれでものすごく極端だけど、かと言って、
「オシャレは良いことだよ~」「女に生まれたのだからオシャレは楽しまなくっちゃ」というのも、それと比べて正しい/間違ってる、優れている/劣っている、というものではなく、ただの「別の価値観」というだけだと思うのだ。
「オシャレは良いことだからしなくちゃいけないんだ!」というせっぱつまった状態も、母親に「オシャレは害悪!」って責め立てられている状態も、何ら変わりはないんじゃないかと思えてしまったのだ。
結局この人は、どっちからも追いつめられている感じがすごくしたのだった。